全国の酒匂さん、集まれ!

「酒匂」という姓は結構少ないと思います。(というか思ってました)
今までは知っている「酒匂さん」は自分の家族と親戚と、テレビで2度ほど見たことがある手品師の酒匂氏だけでした。
また、一発で「酒匂」を「さこう」と読んでくれる人もほとんどいません。
銀行で窓口の担当者が読み方がわからずに後ろにいる上司(?)を呼んで相談したあげく目と目の合図で呼ばれたり、役所で名前を呼ばれずに住所を読み上げられたりとかしたこともあります。
こんなにマイナーな姓の「酒匂」ですが、やっぱりいるんですねぇ。検索エンジンで「酒匂」で検索してこのホームページにたどりついた「酒匂さん」がこの酒匂にメールをくれました。(ややこしい文章ですね)
そこで酒匂は思いつきました。「全国の酒匂さんをこのホームページで紹介しよう!」
紹介して何かするというわけではありませんが、まぁこんなページがあってもいいかなと思います。
全国にいる「酒匂さん」、是非酒匂宛にメールをください。このページで紹介します。
また、「酒匂さん本人」でなくても構わないので、「酒匂さん」をご存じの方はメールをください。
その場合は「酒匂さん」の了解を取った上で「酒匂さん」のコメントを送って下さいね。


最近、物騒になってきましたので、メールアドレスの掲載を中止いたします。(2005/2/27)
もし、ここに掲載されている酒匂さんと連絡がとりたい場合は、管理人までご連絡ください。
連絡がとれる酒匂さんであれば取り次ぎをさせていただきます。
なお、「どうしてもメールアドレスを載せたい」という方は、改めて「掲載希望」のメールをください。(笑)


[全国のさこうさん]を追加しました。(2004/3/21)
「酒匂さん以外のさこうさん」の情報を掲載することにしました。

[酒匂姓情報]を追加しました。(2000/1/8)
# そういえば、自分の名前(ファーストネーム)を今まで書いてませんでしたね。
# 私は酒匂憲と申します。


酒匂さんリスト(並び順を逆にしました 2001/6/24)

お名前 酒匂昇さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
はじめまして。三重県在住の酒匂です。
生まれは鹿児島県鹿屋市です。
学校卒業後三重にきて早30年過ぎました。
お盆or正月にたまに鹿屋に帰郷します。
家の家系図では2代目(実際は何代目かわかりませんが)が文政12年生まれ
と記されています。
私自身ルーツ等には特にこだわりは、ありません。
酒匂という姓は数年前テレビで珍名に挙っていましたので全国に多くの酒匂さ
んが居るということは何かとても嬉しく思います。
今後ともよろしくお願いします。
管理人コメント:
掲示板に書き込んでいただきました。
本当に久しぶりにここに掲載する酒匂さんが増えました。(笑)
本家の「酒匂家の謎」も更新が停滞している中、書き込んでいただいて大変嬉
しく思います。
ホームページの方も更新しなきゃ。
・・・と思いつつ、更新するのはブログばかり。(笑)

お名前 かもひろさん(仮名)
ホームページのURL
その他 本人コメント:
はじめまして。宜しくお願いいたします。
勿論、姓は皆さんと同じです。
名前は当分「かもひろ(仮名)」とさせてください。
鹿児島県姶良郡蒲生町に生まれ20歳で故郷を出ました。
現在は東京です。
本年還暦を迎えました。
故郷にいるときは全く感じなかったのですが、こちらへ来てからは、時々苗字
の事で苦労しました。
正直に申し上げて嫌な思いをしたこともありますが、今では誇りに思っていま
す。
他の苗字の方々に威張る事ではないでしょうが、少なくとも千年の単位で先祖
をたどれる苗字は日本でもそんなに多くはないことでしょう。
自分、自分の家族、そして同じ苗字を持つ我々一族の中では大いに誇りに思い
たいと思います。
管理人コメント:
掲示板に書き込んでいただきました。
かもひろさんはみなさんの「家紋」にご興味があるそうです。
全国の酒匂さん、「酒匂家の掲示板」も画像を投稿できるようにしましたので
是非家紋を教えて差し上げてください。

お名前 酒匂(さかわ)みどりさん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
東京在住のさかわです。
東京にも、意外と酒匂姓があり、明治の頃より品川辺りや今の羽田空港の辺り
にも酒匂さん数件いらしたようですよ。
ちなみに東京大空襲で焼け出されるまで私の親族も赤坂、麻布あたりに住んで
いました。
きっと藩邸の近くに皆、住んでいたのでしょうね。
父、祖父、曾祖父母、曾々父母と、代々日置、阿多郡田布施郷の在です。
それ以前は、現在のところ不明です。
ルーツをたどっていけば、きっと鎌倉辺りに行き着くことでしょう。
祖母は鹿児島郡上龍尾町の出身です。
酒匂のルーツに興味を持ち、調べた内容は、ほぼ皆さんと同じです。
やはり梶原の流れの酒匂でしょうね。
ルーツに関しては鹿児島の各、市役所の方々に手紙にてお世話になり、210年
位前(文化.文政.天保年間〔将軍家斉〜家慶・藩主島津斉興〕の頃)まで知
ることが出来ましたので系図等を作成しました。
その先は資料館で・・とのこと、鹿児島には一度も行ったことが無いので、ぜ
ひ行きたいと思い古文書の解読の勉強をしています。

「酒匂家の由緒書」興味をもって拝見しました。有難うございます。
酒匂神社のすぐ近くに上輩寺があり、そこに酒匂右馬之守?なる人の鎌倉時代
の石碑があります。
「由緒書2」の右馬入道と同一人物かどうかは判りませんが・・この方は酒匂
神社にて頼朝より贈られた白馬を北條政子が安産祈願で奉納し、その白馬の世
話やお守り等をしたそうです。
 小田原の酒匂神社は子供の頃より父に連れられ我が神社のごとく御参りに行
っておりました。
平成5年当時調べたことですが、酒匂町には明治の初めに老女が一人居たきり
でその後酒匂姓は一軒もないそうです。
「珍しいお名前ですね」と酒匂町の方に云われてしまいました(笑)

明治維新前、鳥羽伏見の戦いの時、薩長軍の中に数人の酒匂某の名前がありま
す。
ほんの少し前まで身近のご先祖様たちこのような戦いをしていたのだなと思う
と胸が痛みます。

2008/2/3 追加
我が家の家紋は”五七の桐”です。日置の酒匂ですので、きっと花尾神社参拝
しているかも知れません。
祖父や、明治生まれの亡き父は、東京に住むようになってから小田原の酒匂神
社に良く行っていました。
我が家は神式と、浄土真宗との両方があります。
曾祖父、祖父と神式なのですが・・・
酒匂から苗字が変ったとの件がありましたが、明治維新後、苗字が無かった人
々もすべて苗字をもつ法律が出来て、その時改名また苗字を改めた、武士や、
幕府関係、皇族関係が多くいたようです。
その時武士だった人の中には平民となった人たちも多くいます。
一つの家族の中に平民と士族がいたりしています。
鎌倉の御霊神社に行ってみたいと思います。
又、鹿児島で寛政、文化、文政年間の頃の酒匂庄八の名のご先祖さま(日置、
阿多郡)のつながりの酒匂さん、いらっしゃいませんか?
ぜひお墓が知りたいと思っています。
管理人コメント:
みどりさんも、「酒酔いさん」とか「酒においさん」とか呼ばれ続けて、すべ
ての呼ばれ方に返事をされてきたそうです。
今は、他人が呼ばれても「はーい」と返事をしているとか。
人間ができてますねぇ。

お名前 酒匂吏恵さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私の父は、鹿児島の蒲生という所の出身です。
ふとこのサイトにたどりつき、コメントをみていると、なっなんと私の姉がい
るでは、ありませんか!
やはり、姉妹ですね(^^)
私の家は、父親が男兄弟がおらず、しかも女3姉妹の家族なので酒匂家を継ぐ
人がいないのが、非常に残念です・・・・。
全国の酒匂さん、是非一度お会いしたいものですね!
管理人コメント:
メールでご連絡いただきました。
お姉さんの情報があった、との事ですが、どなたがお姉さんか教えていただけ
ませんでした。(笑)
ということで、お姉さんからの申告をお待ちしております。

お名前 酒匂真次さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
はじめまして、鹿児島県出身の千葉県在住の酒匂真次といいます。
知っている方も多いのかもしれませんが、最高のネタを思いつき、黙っていら
れなくなってしまいましたので、紹介させていただきます。

(問)
酒匂の人生を最高の人生にするために必要なものは、何だと思いますか?
重く考えず、軽く考えてください。

(答)
「愛」です。
理由は、下を見比べて下さい。
酒匂→SAKOU
最高→SAIKOU
そうです。SAKOUにIが入るとSAIKOUになります。
すなわち、酒匂に愛が入ると最高になります。
酒匂のみなさん、愛のある人生で、最高の人生を過ごしましょう!
管理人コメント:
メールでご連絡いただきました。
上記ネタ以外にも、「『外為どっとコム』というサイト内で、コラムを書いて
いる酒匂さんがいる」という情報も頂いております。
(「全国の酒匂さんへの掲載は、本人への了承が必要では?」と真次さんは気
にしていらっしゃいましたが、公開されているサイト名を書く程度なら問題な
いと思います。)

お名前 酒匂秀俊さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
はじめまして鹿児島市に住む酒匂です。
偶然、このサイトを発見。
読んで字の如く酒の匂いがするくらい先祖が酒を嗜んだのでしょうが、私は下
戸で、兄も私以上の下戸です。
鹿児島には結構、酒匂さんがいらっしゃるので大体、名前を読んでくれますが
他県に出るとサカワさんかサケクさん、または絶句され暫くして
「すみません、何と読むのでしょうか?」
と不思議そうに聞かれます。
電話で飛行機のチケットを頼むと殆ど佐藤さんになっています。
次男が昨年、福岡に就職しましたが営業職なので名刺を差し上げる度、「すみ
ません」と名前を聞かれるので最近はルビを入れたと嘆いていました。
こんなに珍しい名前でも全国に酒匂さんが沢山いらっしゃるのには驚きです。
因みに二人の息子は酒匂の名の如く本当に酒が好きです。
管理人コメント:
掲示板に書き込んでいただきました。
秀俊さんも、他の酒匂さんと同じような体験をされていますねぇ(笑)
名前を言って「サトウさん」と確認されることは、今でも時々あります。
どっちでも良いよなぁ、と思いながらも、毎回、「サコウです」と訂正してい
ますよ。
「酒匂姓」を認識してもらわないと・・・

お名前 酒匂裕紀(ゆき)さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
はじめまして。東京在住の酒匂です。
私はこの苗字気にいっているんですよね。
一度覚えてもらったら忘れないし、こんな難しい苗字にピッタリくる名前をつ
けるのに両親も大変だったろうし・・・。
結婚を控えて苗字が変わるので、残念ですが。
でも、仕事は旧姓でしようかと思っています。
管理人コメント:
掲示板に書き込んでいただきました。
昔は「さけくさい」などとからかわれたりしましたが、私も酒匂姓は気に入っ
ています。
# 裕紀さんも幼い頃はからかわれたそうですが。

お名前 酒匂秀章さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私は鹿児島の酒匂です。
由来は、鎌倉初期に関東から島津氏に連れ立って鹿児島(当時は薩摩の国)に
移り住んだ流れだと聞いています。
鹿児島では、各地の麓(武家屋敷等があった地区等の呼称)にそれぞれ何軒か
あり、鹿児島の特徴的な名字の一つです。
拙宅は、明治初期に加世田から牧園に移り住んだと親父から聞いています。
管理人コメント:
掲示板とメールの両方でご連絡をいただきました。
やはり鹿児島には「酒匂姓」が多そうですね。

お名前 酒匂淑江さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私、酒匂淑江(さかわとしえ)です。
ただでさえ珍しいのに、神奈川に同じ漢字を使って姓も名も読み方が違う方が
いてびっくりしました。
父方が酒匂ですが父の父、つまり私のお祖父さんは養子なので、直接の血のつ
ながりはありません。
東京下町にいた落ちぶれた武士だと亡きお祖母さんから聞いてますが、調べた
事はありません。
もっと聞いておけばよかったですね。
管理人コメント:
以前紹介させていただいている酒匂淑江さんは「さこうよしえ」さんで、今回
紹介させていただいている酒匂淑江さんは「さかわとしえ」さんです。
うぅ、混乱しそう・・・

お名前 酒匂貴史さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
自分の廻り(札幌市内)には親戚以外にも酒匂という名前の人が小学生の後輩
に居ました。
親に聞いても「同じ学校に居るの?知らない家庭だなぁ・・・」との事。
あまり居ない名前なので驚きでした!
PS 間違えないで名前を読めたのは厚別警察署の警官と免許試験場の検査員
のみでした。
大体、さかなんとかさん・・さけ・・・・など無謀な呼び方で困ります(汗
管理人コメント:
確かに初対面で正確に読んでくれる人は少ないですよね。
ま、社会人になってからは、「まず名刺交換して自己紹介」という場合が多く
なったので、無謀な(?)呼ばれ方は滅多にされませんが。

お名前 酒匂寿樹さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
酒匂の姓は祖母から頂いたもので、祖父は中国、天津出身で直系は中国になり
ます。
母親も香港の人なので血で言うと中国系のほうがつよいです。
生まれも育ちも横浜ですが、高校出てからは、ニュージーランド、上海、カナ
ダと、海外生活が5年弱ほどありました。
現在はまた横浜に住んでいて横浜のケーキ屋に勤めてます。
ほやほやのパティシエです。
管理人コメント:
パティシエの酒匂さんからご連絡いただきました。
我が家は、夫婦そろって甘い物好きですので、横浜に行ったときは是非お店に
寄らせて頂こうと思います。
あ、店の名前も知らないんだった・・・(笑)

お名前 酒匂健さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
皆さんはじめまして。私も酒匂です。会社の転勤の関係でシンガポールに住ん
でいます。
このようなホームページがあるのを偶然に発見しました。
今後は時々このホームページを除いてみようと思います。
しかし、酒匂さんというひとが他にもいらっしゃるということ自体が不思議で
す。
管理人コメント:
シンガポールの酒匂さんからのメールでした。
とうとうこのサイトも国際化してきたのか?(笑)
# 「酒匂家の謎」は日本語Onlyですけど。

お名前 酒匂秀人さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
自分の祖先がどうなっているのか知りたいと思って、インターネットを見てい
たら、このページを見つけました。感激しました。
とてもわくわくしながら、そして、なかなか一度で苗字を呼んでもらえないこ
となど、うなずきながら読ませていただきました。
しかし、最近は、逆手にとって、初対面の人が集まるような場所では、覚えて
もらえるように、「酒が匂うと書いて「さこう」と言います。」というように
自己紹介をします。
酒の席だと、場も和みますよ。
一度試してみてください。
ところで、私の父は、鹿児島県志布志町出身ですが、現在三重県四日市に住ん
でいます。
教員をしています。
父と同じ志布志町で教員をしていた方がいたっていうことは、父と親戚かな?
その血を引いているのかな?
自慢になってしまうかもわかりませんが、東京書籍の論文募集に応募したら入
賞しました。
その記事がHPにも載っています。
お暇があれば、どうぞご覧ください。
管理人コメント:
秀人さんの論文は、「東京書籍」で検索すると見つかります。
読ませて頂きましたが、とてもすばらしい論文だと思いますので、皆さんも是
非読んでみてください。

お名前 酒匂誠さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
鹿児島県日置市在住の酒匂です。
父は鹿児島県旧姶良郡蒲生町の出身です。(このあたりは向こう三軒両隣がみ
んな酒匂さんでした。)
鹿児島には割と多い名字のようですが、東京にいた時はめずらしがられました
っけ。
いまでは、WindowsIMEでもATOKでもことえりでも、結構簡単にヒットしてくれ
るということは、もう十分市民権があるのでしょうね。
管理人コメント:
掲示板に書き込んで頂きました。
「向こう三軒両隣が酒匂さん」という環境ですと、あまり「酒匂姓は珍しい」
とは思わないのでしょうかね。
私は未だに親戚以外の酒匂さんに直接お会いしたことはないですね。

お名前 酒匂義博さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私は鹿児島県出身の酒匂です。
今日家内に「絶対気に入るホームページがあるよ」といわれたことをきっかけ
に、先ほどから昔のこと思い出しながら楽しく拝見させていただいています。
小中学生の頃、田中さんや山下さんのようなよくある姓に憧れていました。
たぶん仲間が沢山いる感じがしてうらやましかったのだろうと思います。
また、他県に行けば姓の説明を何回もしなければいけないことにめんどくさく
思ったことも多々ありました。
しかし!!今ではこの姓のインパクトや希少価値(?けっこう仲間はたくさん
いるしなあ)のおかげですぐに名前を覚えてもらえることなどで優越感を感じ
るようになりました。いや〜酒匂万歳!!です。
以前から酒匂姓のルーツなどには興味を持っていましたが、様々な酒匂さんの
姓に関する情報の多さにびっくりし、改めて自分の姓を再発見した感じがしま
す。
すべての酒匂さんに感謝!!です。
最近心がけていることは姓に負けないインパクトのある名前を自分の子供につ
けることです。(結構大変)
なぜなら名前よりも姓で呼ばれる可能性が高いので。名前で呼ばれたほうが親
近感がわくと思いませんか。
ちなみに私は名前で呼ばれるより、「酒匂」「さこちゃん」と呼ばれることが
多く、名前で読んでほしいなあと思うことがよくありました。
これからもこのページが発展して酒匂家の謎が明らかになっていくことを願っ
ています。
P.S ここで新しい謎を… 私の知っている酒匂さんは酒勺(しゃく)で
さこうと読みます。
管理人コメント:
掲示板に書き込んで頂きました。
お子さんに『インパクトのある名前』をつける、ということですが、あまりに
もインパクトがある名前は避けた方がよろしいかと。(「悪魔」君とか)


と掲示板に書いたところ、
「名前は、もちろん、良識ある範囲のインパクトを目指しました(笑)」
と返事が返ってきて安心しました。(笑)

お名前 酒匂卓郎さん
ホームページのURL http://www6.ocn.ne.jp/~sakou/
その他 本人コメント:
酒匂家のみなさん、こんにちは。
私は鹿児島に住んでいますが、以前、酒匂家の歴史を調べたことがあって、鹿
児島の酒匂は、源頼朝の鎌倉幕府創設創設により、鹿児島・宮崎あたりの平家
色を払拭し、鎌倉幕府の権力を確立するため、惟宗忠久(後の島津忠久)の下
向に随従して鹿児島に入ってきたとされています。
ですから元は神奈川県小田原の酒匂川あたりだと思われます。
では、これからも同じ「酒匂」で仲良くしましょう!
P.S.「酒匂一族」とか「酒匂家」に関する本を手に入れたいので、ご存知
の方がいたら連絡して下さい。
管理人コメント:
ホームページを見ていただけばわかりますが、卓郎さんは鹿児島県議会議員で
す。
ホームページでは議員としての活動を事細かに報告されています。
まさか議員さんもこのサイトを見ているとは・・・驚きです。(笑)

お名前 酒匂生馬さん(ペンネーム)
ホームページのURL
その他 本人コメント:
東京都内に住む酒匂と申します。
父親・親族は鹿児島出身です。
マイノリティーネームだと思っていましたが、最近ご近所にお住まいの方やら
お勤めの方でで数件発見し、「お、メジャー化か?」と思う今日この頃でござ
います。
が・・電話などで名乗る場合、「お酒が匂うと書いて酒匂です♪」と言えば
「酒臭」で郵便が届く。
「お酒が・・臭う?」という問いに、「はい、匂うです」と答えてしまうから
ですが。
余談ですが、「酒匂一族」という本。 確か当時父親が購入したような・・・
もう何年も前の事ですし、父親も飽きている事確実なので、今度確認してゲッ
トしておきます♪
管理人コメント:
掲示板の方に「酒匂A(♂)」のお名前で書き込んで頂きました。
「生馬さん」というのはお仕事で使っている名前だそうです。
# 検索すると何件かヒットしました。
「酒匂一族」をゲットしたら、またご連絡ください。 > 生馬さん

お名前 酒匂景久さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
小生は1932年生まれの72歳、現在は船橋に住んで居りますが、本籍は鹿児島市
の「姓は酒匂、名は景久」と申します。 (両親は鹿児島出身です)
60歳で退職してから、色々と「酒匂」の事を調べました。
20年程前に鹿児島の図書館(市立か県立か忘れましたが)で、「酒匂家由緒書」
なる資料(古文書)をみつけました。
小生の判読出来る所を紹介致します。
この由緒書きは長文で行書書きや変体仮名が遣われております。
昔の候文で大変読みにくいものです。
小生は日本史には詳しく在りません。
まして、嶋津、薩摩の歴史のことは判りません。
多分、酒匂家は嶋津忠久の「乳母」の関係だったようですね。
葬礼は家の順番を決める大切なもののようで、今の天皇家の葬儀をみれば判り
ますね。
太刀は武士の心、大小の太刀持ちの役をやっていたとはね。
続きに書いて在りますが、どうも、真面目に勤務していなかった様です。
始祖、忠久公の忠臣だったことを鼻にかけていたようです。
何方か、鹿児島在住で古文書と日本史に詳しい方が表れることを期待いたしま
す。
管理人コメント:
「酒匂家由緒書」の情報をメールでいただきました。
「酒匂姓情報」にその内容を掲載します。
景久さんから「候文を現代文に翻訳するのは管理人様にお任せいたします。」
とのメールもいただきましたが、なにぶん「他力本願」なこのサイトですので
どなたかお願いしま〜す。(笑)
また、「酒匂家の先祖」についての情報も追加でいただきましたので、そちら
も「酒匂姓情報」に掲載しました。

(2005/5/22 追加) 景久さんから次のようなメールが届きました。
「酒匂家由緒書」は古文書で「鹿児島県立図書館」の蔵書です。
読み返すと「誤訳」が多く、恥ずかしい次第です。
古文書に興味をお持ちの方が居られたら、訂正をお願いしたいですね。

お名前 酒匂勉さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
三重県の方にいとこがたくさんいます。
ちなみに生まれてから一度も血縁関係以外の「酒匂」さんと接した事がないの
で、この場で交流できる事を楽しみにしています。
管理人コメント:
勉さんは掲示板に書き込んでいただきました。
せっかく「メールアドレス掲載OK」とご連絡いただいたのですが、諸事情によ
り、今回からメールアドレスは掲載しないことにしました。
申し訳ありません。 > 勉さん

お名前 酒匂氏の末裔(匿名希望)さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
姓は幾通りかに変わりましたが、酒匂の子孫は沖縄にもいます。
酒匂与四郎右衛門(友寄景友)が1632年に薩摩から来琉し、久米島紬のもとと
なる技術を伝えました。
これに関しては名前が酒匂四郎右衛門景陳、年代1612年と他説もあります。
酒匂氏はもとをたどれば梶原氏で桓武天皇の子孫なんですね。
びっくりしました。
わたしは旧姓・友寄ですが、父の親族も男性はほとんど名前に「景」の字がつ
きます。
「景」の元祖・鎌倉景通?から約1000年?も続いているのですね。
これには本当に驚きです
管理人コメント:
この方の旧姓が「友寄」さんということですが、「友寄」姓のルーツをたどる
と「友寄景友」=「酒匂与四郎右衛門」とのことです。
# なので、酒匂姓ではありませんが掲載しました。
「友寄」という姓も珍しいと思いましたが、この方に聞いてみると、「全国的
に見ると珍しいが、沖縄では多いとは言えないが珍しいということもない」そ
うです。

お名前 酒匂あやこ(仮名)さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
管理人様、皆様、はじめまして。東京都に住む24歳です。
私は東京生まれの東京育ちですが、父が鹿児島県姶良郡出身です。
姓の由来について大まかな話は聞いていましたが、これほど詳しい情報を得た
のはこのHPが初めてで、とても感激しています。

ここで、私がインターネットから得た酒匂姓情報を紹介いたします。
室町時代に何度か起こっているという島津氏の内紛の一つ。

「島津元久の没後、元久の弟久豊と、その叔父に当たる伊集院頼久との間に不
和が生じる。
両者は諸所において合戦、一進一退ののち、1413年に久豊は頼久を制圧した。
この戦いにおいて久豊側についたのが、松尾城主酒匂紀伊守。
彼はもともと、島津犬太郎(後の久林)に仕えていたが、寝返って久豊に内通
した。
頼久は犬太郎を助けて酒匂紀伊守を攻め、久豊は酒匂を救うために戦った。
しかしこの戦いでは、久豊・酒匂側が頼久・犬太郎側に敗れてしまう。」
参考
蒲生美濃守清寛(かもうみののかみきよひろ)
薩摩島津氏 −戦国島津氏ー
島津氏年表

酒匂家は島津氏の内紛によって衰微の一途をたどることになったそうですが、
それがこの久豊・頼久の戦いのことなのか、それとも別の内紛なのかについて
は、わからずじまいでした。
また碇山城主酒匂景久さんについて何かご存知の方、情報を提供して下さい。
お願い申し上げます。m(_ _)m
管理人コメント:
ご本人の希望で、本名は伏せてありますが、「酒匂さん」です。(笑)
メールアドレスについても、「公表するのはHotMailの方で」ということでし
た。
# 最近、なにかと物騒ですからね。
なお、上記の「参考URL」については、全てリンクの許可を得ております。

お名前 酒匂浩之さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
なにげなく検索したところこのHPに出会い、こんなにも多くの酒匂姓情報を目
にすることができ本当に感謝しています。
高句麗好太王碑の改ざん疑惑で酒匂一族では名の知られる酒匂景信は私の曽祖
父にあたります。
この時の功績で明治天皇からいただいた壺があります。
また『陸軍砲兵大尉酒匂景信の墓(碑)』は現在東京の青山墓地で私の弟の可
信(よしのぶ)が管理しています。
弟の名前「可信」は景信から一字もらいました。(命名は祖父です)
景信の娘酒匂春子が私の父の母にあたるのですが、亡き父が酒匂姓を継いだも
のですから親族も我々2人の兄弟だけです。
祖父母ともに私たちの若いころに亡くなっていますのでとくに祖母酒匂春子の
ルーツがよくわかりません。
祖母のところにはNHKや東大の先生がよく取材にきていました。
酒匂景信がどういう人だったかというような資料は何度か見かけています。
これだけ全国の酒匂さんと交流のあるHPですから、きっと近い親族もいらっし
ゃると思いますのでぜひお心当たりのある方はご一報下さい。
ちなみに私は1960年生まれ、本籍地は宮崎県都城市、祖父は宮崎県日向市
です。
管理人コメント:
「NHKや東大の先生がよく取材にきていた」とのことで、由緒正しい酒匂さん
のようですね。
私は不勉強なものですから「影信」さんがどのような人か存じ上げないのです
が、影信さんに近いご親戚の方は、浩之さんにご連絡を。

お名前 酒匂一恵さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
こんにちは。酒匂一恵(さこういちえ)といいます。
一度試してみようと思い、自分の名前で検索してみました。
ヒット件数なしか、という予想に反して約9000件・・・。
あの「酒匂川」のHPもたくさんでしたが、ここに来てみてまたビックリ☆
酒匂さんって意外にいるもんなんですね〜。
私はよく「酒臭」とか「酒香」とかいったように宛先蘭に書かれています。
(^^:)
読むときには「さかお」とか「さかわ」とか「さかにお←すっごい無理やり」
とかになります。
さかわさんは実際にいらっしゃるのでかまわないのですが、さかにおさんはち
ょっとねぇ・・・。
さらに、苗字をクリアしたとしても名前が「かずえ」になります。
いまだかつて、初対面で本名を呼ばれたことはないですね(笑)
(私のいる)酒匂家については、私の父いわく、本家は鹿児島だそうです。
そこから高知(土佐)に移り、大阪に(商売のために)出てきたとか。
ところで、酒匂姓情報、すごいですね。
自分の名前だけあって興味深いです。
こっちの酒匂家は、跡取りがいなくて(娘ばっかりです)消えそうです・・・
管理人コメント:
私は「さかにお」って呼ばれたことはさすがにないです。(笑)
「一恵」を「いちえ」と読むというのも珍しいのではないでしょうか。
私も普通に読んだら「かずえ」と呼んでしまうでしょう。

お名前 酒匂昭男さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
神奈川県横浜市在の酒匂です。父母のルーツは鹿児島、生まれは東京、育ちは
敗戦前の台湾でした。
退職した現在、当時の学校同窓会を主宰し同窓誌を定期編集発行している。
会のぢぢばば等に名前の字を聞かれたら、お酒に「いろはにほへど」の「にほ
ふ」ですと答えると大抵は間違えなく匂と書いてくれる。
若手の人には坂道の勾配の勾の中が片仮名のヒですよと教える。
神社神道に帰依していた父からは、無理やり発音が「におう」に統一された
「匂」の字は元々は神前にお神酒を供えて輝く、栄えるの意が第一義だと教わ
ってきたものです。
標準語より古語の発音に近い正統鹿児島弁を聞くとなるほどと思った。

2003/11/15 追加
前に「匂ひ」に関する情報を掲載して頂きましたが、酒匂家の投稿らんに酒匂
の読み方発音に引け目を感じられている方々が居られましたので若干追記しま
す。
昔の匂ひは臭覚よりも視覚と第六感に重きがあり、美しく栄えての意です。
日本古来の国字で勾玉の勾に似てますが、全く関係なく音の「コウ」はありま
せん。
日本語の発音ではハ行の字が二字目以降だと衰退する傾向にあり
「サカニホフ」sak/anih/ohuが sakohuとなったのでしょう。
管理人コメント:
掲示板の方に書き込んでいただきました。
「匂」の字にこんな意味があったとは知りませんでした。
ちなみに、私は「俳句の句の中が片仮名のヒです」と説明しています。

お名前 酒匂雄志さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
宮崎県小林市在住の「さこうゆうし」です。
以前、投稿していた酒匂秀美の兄です。
弟に検索してみて!と言われここにたどりつきました。
これからも、全国の「酒匂さん」集まるといいですね!
管理人コメント:
兄弟、姉妹で揃って連絡いただくケースもちらほらと出てきました。
「酒匂姓って少ないから、結果的に家族・親戚の方が増えてしまうのか?」と
一瞬思ってしまいましたが、実際は雄志さんのように「口コミ」で広がってい
くんでしょうね。
「ゆうし」さんというお名前も結構珍しいのではないかと思うのですが、雄志
さんのお子さんもあまり見かけないお名前です。
# 許可をいただいていないので公表はできませんが。
それに引き替え、うちの子の名前は「拓馬」と「琴美」。
実に単純ですねぇ。

お名前 酒匂明弘さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
なぜ だかこのサイトにたどりつきました。
酒匂家のにおいが出てたんですかねー。
管理人コメント:
掲示板の方に上記コメントを残していってくれたんですが、私のミスで3ヶ月
ちかく書き込みに気づきませんでした。
ところで「酒匂家のにおい」ってどんなん?

お名前 尾崎ゆかりさん(旧姓酒匂さん)
ホームページのURL
その他 本人コメント:
はじめまして。現在は東京在住ですが、宮崎県小林市出身です。
それにしても、自分以外の酒匂さんがこんなに大勢いらっしゃるなんてビック
リです。
でも、私の父は一人っ子なので、親戚の酒匂さんを私は知りません。
どなたか「おいおい、親戚だよおおお!」という方がいらっしゃいましたら、
是非、ご一報ください。
50年以上も前に亡くなった私の祖父は 酒匂秋義といいます。
管理人コメント:
どなたか「酒匂秋義さん」というお名前に心当たりがあるかた、管理人に連絡
していただければ、ゆかりさんに伝えます。
ちなみにうちの親戚ではなさそうです。

お名前 酒匂裕美さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
はじめまして。大阪の酒匂裕美と申します。
私がパソコンをまた持っていない頃、友達から「全国の酒匂さん」の存在を教
えてもらいました。
実は私のいとこの名前があって、この前結婚式で久々に再会してこの話で盛り
上がった事はいうまでもありません。
先日スキーに行った帰りのツアーバスでは、偶然にもツアコンさんが酒匂さん
でした。
親戚以外で同じ名字の人にあったのがはじめてでちょっと感動しました。
ちなみに私の父は宮崎県小林市出身です。
では、また何か情報があれば書込みしますね。
管理人コメント:
コメント中の「いとこ」の方は、このページで紹介させていただいている「酒
匂健次」さんとのことです。
裕美さんは「酒匂」さんとは縁があるようで、ご自宅のある藤井寺市に、親戚
ではない酒匂さんがいらっしゃるそうです。
また、上記コメント中のお友達は「佐光さん」という姓だそうです。
残念ながら「さこう」ではなく「さみつ」と読むそうですが。

お名前 酒匂淳一さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
神奈川県大磯に住む酒匂です。
ルーツにつきましては私も大学在学中に調べており、掲示板にもご登場されて
いる酒匂精義先生にも実際にお会いしたことがあります。
祖父・祖母が鹿児島県志布志町の出身で、酒匂先生のご自宅そば、歩いて数分
のところに住んでおりました。(風の噂では酒匂先生は宮崎にお引越しされた
とのことでしたが。)
管理人コメント:
掲示板の方に書き込んでいただきました。
淳一さんからも酒匂一族の情報をいただきましたのでこちらに掲載させていた
だきました。
それにしても酒匂精義先生って有名な方なんですね。

お名前 安藤恵理子さん(旧姓酒匂さん)
ホームページのURL
その他 本人コメント:
弟から、「全国の酒匂さん」っていうホームページがあるよ。っていうメール
がきて、すぐに検索してみました。
わくわくした思いで読みまくりました。とっても感激です。
私の父もやはり鹿児島の出身で、島津藩に関係してるってことは聞いていたの
ですが・・・
精力的にルーツを調べている姉にも、早速教えてあげようと思っています。
酒匂時代の私が体験した事、やっぱり酒匂ならみんな必ず避けて通れない儀式
のようなものなんですね。なんだか妙にうれしいです。
体験その1・銀行で名前を呼ばれるとき。必ずといっていいほど誰かと相談を
する。
その結果、私の場合は「さかおいさん」という名前に決定する事が多いです。
体験その2・初めて出席を取るとき私の番に来ると一瞬かたまって、でも何事
もなかったように自然に私はとばされて次の人の名前が呼ばれた。
その先生は次の授業で出席を取るとき、とんでもない読み方をしました。
「せんせー!ちがいま〜す」というと「いいじゃないか、どっちでも(笑)」
といわれました。昔々のおはなしです。
管理人コメント:
安藤恵理子さんからは、最初メールをいただき、その後掲示板にも書き込んで
いただきました。
メールでは「『酒匂一族』、『酒匂家の系図』の両方が欲しい」とのことでし
たので、私の手元に残っていた『酒匂一族申し込みはがき』から出版部の連絡
先をお伝えしておきましたが、『酒匂家の系図』の情報は私は持っていません
ので・・・

お名前 酒匂一幹さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
父が鹿児島の出身でした。
吹上浜の近くで日置郡伊作というところだそうです。
わが家では父の時から「さこう」ではなく、「さかわ」となぜか名乗っていま
す。
もっとも親戚は全員「さこう」なんですけどね。
親戚のなかで「さこう」と「さかわ」ってふたつ呼び方があるとなんか変です
よね。
亡くなった父はもっと変で、贅沢にも両方をつかいわけていました。
祖父は慶応二年の生まれで「虎之助」というんです。
夫婦養子(祖父の旧姓は田部)だったから私には酒匂さんのご先祖の血はなが
れていないんですけどね。
もし縁故のある方いらっしゃいましたらメールくださいね。
管理人コメント:
一幹さんのお父さんは、自ら「さこう」を「さかわ」に変えたそうですが、こ
れって、法律上許されるんですかね?(笑)
漢字が変わらなければいいのでしょうか?
ご存じの方、教えて下さい。

お名前 酒匂ちひろさん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
千葉県に住む高1の酒匂ちひろです。(^▽^)
父の酒匂一彦と妹の酒匂みさともプロフィールを載せていると思います。
なんだか全国にこんなにも酒匂さんがいるとは驚きです!!
何かお話できると嬉しいです☆よろしくお願いしますm(_ _)m
管理人コメント:
すぐ下の酒匂みさとさんのお姉さんです。
掲示板の方に書き込んでいただきました。
ご家族で見ていただいているんですね。ありがたいことです。
今度は是非「生活指導の先生」からも連絡いただきたいと思っています。(笑)

お名前 酒匂みさとさん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私は現在小学6年生。もうすぐ中学生です。
父が「酒匂と書いてインターネットで調べてごらん」と言ったので調べてみま
した。
するとビックリ!こんなにも酒匂という名字の人がいるんですね。
私の身近なところにも酒匂さんはいるんです。
姉が高校生なのですが生活指導の先生が酒匂という名字とのこと。
あちらもビックリして「もしかして親戚?」っときいてきたそうです。
私たちの親戚(酒匂家)は鹿児島県や熊本のほうなのですがね。
結構この名字気に入ってるんですよね。
簡単にほかの人が読めないっていうのも好きなところの1つなんです。
管理人コメント:
みさとさんは、下に紹介させていただいている酒匂一彦さんのお嬢さんだそう
です。(一彦さんはお二人いらっしゃいますが、下の方の一彦さんです)
それにしても、小学生の方からメールをいただくとは思っていませんでした。
小学生が見ているとなると、あまり変なことは書けないな。> 酒匂家の謎
# もう十分変ですか?

お名前 酒匂一秀さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私は、鹿児島の桜島の酒匂です。
何故かは、わかりませんが当桜島にも何軒かあります。
ちなみに、私はその桜島の溶岩を使って、溶岩プレートなるものを作っており
ます。
興味のあるかたは、ご連絡下さい。
管理人コメント:
酒匂一秀さんは、桜島溶岩加工センターというところの工場長だそうです。
上記メールアドレスは、個人のものか溶岩加工センターのものかわかりませ
ん。(一秀さん、教えて下さい)

お名前 酒匂祐二さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私の本籍は、鹿児島県串木野市で住所は大阪府です。
すごくびっくりしましたこんなHPがあったなんて(笑)
家族みんなびっくりしています。
管理人コメント:
酒匂祐二さんも、下の酒匂宗仁さんと同様、掲載承諾確認のメールを出したと
ころで忘れていました。
最近、こんなのばっかり・・・反省。

お名前 酒匂宗仁さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
うちは、鹿児島の酒匂です。
[酒匂姓情報]にもあったように、鹿児島の酒匂は島津家の家臣、あるいは、パ
ートナーとして一緒に来たことが始まりのようです。
私の祖父が正月よく言っていますし。
家紋はもちろん、矢が縦に2本並んでいます。
ちなみに私の場合、名前の名が「宗」という字が代々ついています。
確かに鹿児島には酒匂姓がいますが、やはり全国区になるとかなり珍しいです
よね。
未だに、酒匂(さこう)と呼ばれたことは一度もありません。しかも、名も宗仁
(むねひと)ですのでどこも呼ばれない。
友人からは、歴史の教科書に出てきそうな姓と名だねと言われます。
管理人コメント:
掲載承諾確認のメールを出したところですっかり忘れていました。
それで今回「お詫び&再度確認」のメールを上記アドレスに出したのですが、
エラーメールが戻ってきました。このアドレスはもう使われていないのでしょ
うか?
ということで、連絡とれなくなってしまいました。ごめんなさい。
2003/9/20 メールアドレス変更のご連絡をいただきました。
掲載してあるメールアドレスは、現在使われているアドレスです。

お名前 酒匂洋さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私も酒匂ですが神奈川の電話帳で調べるとイロイロ呼び名があるみたいです。
私は"さこう"と名乗っているのですが、みなさんはどうでしょうか?
それと私は自分の一族以外の酒匂さんに会ったことがありません。
是非会ってみたいですね。
管理人コメント:
ずいぶん前に連絡をいただいていたのですが、掲載するのをすっかり忘れてま
した。ごめんなさい。
今までに連絡をいただいた酒匂さんには会ってみたいですが、お住まいが北海
道から九州までばらばらですので、なかなか難しそうですね。

お名前 酒勾裕紀さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
たまたまネットでさがしものをしていてほんの興味本位に自分の名前を検索し
てみると全国の酒匂さんというページを発見!
私は北海道に住んでいるのですがいままで自分と同じ苗字の人とは会ったこと
がなかったので大興奮でした!!
私は酒勾でサコウとよみますが、1回で名前を読めた人はいません。
サカワと読まれるのが多いですが、おかしいのがシュコウさんと呼ばれたとき
です。
私の家系はわかる範囲で私の弟で酒勾家15代目になります。
どこかでつながっている人がいるかもしれませんね
管理人コメント:
「酒勾」さんなら比較的「さこう」と呼ばれるような気がしますが、やはりな
かなか呼んでもらえないのでしょうか?
私は未だに上司に「酒勾」と書かれます。(涙)

お名前 酒匂慶さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
僕も酒匂家の者です。立命館大学にいます。酒匂家の研究してます。
管理人コメント:
酒匂慶さんは、授業の合間をぬって、研究結果を掲示板に書き込んでください
ました。
その情報も[酒匂姓情報]に追加しておきました。
2回に分けて書き込んでいただきましたので、そのまま掲載してあります。
# 下手にまとめようとすると、情報が変わっちゃいそうで・・・

お名前 酒匂○○さん(匿名希望)
ホームページのURL
その他 本人コメント:
なんとなく「酒匂のHP」を見ましたら、酒匂のルーツに触れられているメー
ルが多く見受けられましたので、「鹿児島県志布志郷士酒匂家」について触れ
てみたいと思います。社会の先生で「酒匂精義」という方が居られ、鹿児島酒
匂家のルーツを徹底的に調べ、「平姓梶原流の末裔ー酒匂家」というタイトル
で論文を発表されています。それを参考に話を進め、最後に志布志郷士酒匂家
に触れたいと思います。
管理人コメント:
ということで、酒匂○○さんからの情報も[酒匂姓情報]に追加しました。
酒匂精義先生の調査はすばらしいですね。
# だんだんこのページも立派になってきたぞ。

お名前 酒匂栄太郎さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
みんな「酒臭い」「酒の匂い」・・系のネタでのコメントが多いようですが、
僕の場合は もっと困ってます。
東海地方には「栄太郎」という居酒屋があって、初対面の人や僕の名前を読ん
だ人達は必ず「本名は?」と聞いてきます。
酒の匂いの栄太郎では はまり過ぎですよね?
ちなみに僕はバーテンダーです。
管理人コメント:
とうとう「全国の酒匂さん、集まれ」のページが親戚に見つかってしまいまし
た。
この「酒匂栄太郎」さんは、私の従兄弟です。
2人下の酒匂賢二さんへのコメントで「そのうち親戚同士の方も出てくるかも
」と書きましたが、本人が第一号になってしまいましたね。

お名前 柚木一征さん(旧姓酒匂さん)
ホームページのURL
その他 本人コメント:
「全国の酒匂さん」を拝見しました。感激しました。
私も中学時代より興味を持ち、早四十数年経過しました。
いろんな調査しましたが、結論はみんな兄弟親戚だということでした。
私自身は現在、酒匂姓ではありません。(昔の酒匂はどうも男に恵まれなかっ
た傾向があり、結構養子関係で繋がっています)
私の酒匂は梶原朝景の創家酒匂嫡流(本家)である新左衛門(河邊、日當山地
頭)の二男である新次郎が永禄年間の頃、分家したのが始まりである。
これ以降、第十三代酒匂萬佐彦(曽祖父)戊辰戦争に蒲生隊長として奥州まで
出兵。(当時の写真あり)
第十五代酒匂ケサ(曾祖母・・酒匂萬佐彦の妻)大正14年8月16日81歳にて没。
以上の分家関係者(鹿児島県姶良郡蒲生町)であれば、婚姻関係等、非常に複
雑な部分もありますが、明治以降に関しては私の方で把握できます。
祖父、祖母等の名前が分かり、関係者である確認がとれたら、情報提供します
ので、遠慮なくどうぞ。
「酒匂一族」出版については、初めて知りました。
どういう方が出版されたのか、詳しい情報があればぜひ教えていただきたい。
管理人コメント:
柚木さんは、ちゃんと「酒匂姓」を調査されているようです。
私はあくまで「他力本願」ですが。(笑)
柚木さんからいただいた情報も[酒匂姓情報]に追加しておきました。

お名前 酒匂健二さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
父が宮崎出身です、やはり九州方面が多いんですね。
酒匂家のホームページ内で、親戚同士になるような人はいないでしょうかね?
居たら面白いでしょうね。
管理人コメント:
親戚ですか、どうでしょうね。
姉妹や夫婦の方はいらっしゃいましたが・・・
このページの酒匂さんも増えてきましたから、親戚同士の方も出てくるかもし
れませんね。

お名前 酒匂建文さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
酒匂建文(たつふみ)といいます。
ちなみに、ウチは父が「酒匂」でやっぱり鹿児島の出身です。
「酒匂一族の〜」って本、ウチにもありました 。(^0^)
そー言えば、名前のこと、ぼくの兄弟はみんな「〜文」です。
なんか意味があるのか、ただ揃えてみたかったのか・・・。
でも、ちょっと前に例の本を読んでからは、子供が生まれたら「景」の字を名
前に入れてやろうと密かに目論んでます。
女の子なら楽なんですよね〜「景子」 ←安直 (^0^)
男だったらどんな字が「景」に合うんでしょうね。
管理人コメント:
うちの子供の名前は、語感だけで決めました。(たくまとことみ)
漢字の意味とかはな〜んにも考えてません。(笑)
建文さんの家にも「酒匂一族」の本があるようですね。
割とみなさん持っていらっしゃるのでしょうか?

お名前 酒匂賢一さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
こんなHPがあったなんて、ホントびっくりしました(笑)
ページ全体が『酒匂』だらけで、なんだかくすぐったいような感じですね。
生息地は、島根県です。おそらく県下では、うちの家一軒でしょう。
近くの親戚に、同じ苗字はありません。
もともとお祖父さんが鹿児島の出身で、鹿児島には何軒かあると聞いてます。
『全国の酒匂さん、集まれ!』に話題に上がってましたが、『酒匂一族』
うちにありますよ。
確か15年くらい前に、父親が購入したと思いますが。
管理人コメント:
『酒匂一族』をお持ちの酒匂さんからメールをいただきました。
その冒頭文も紹介していただいたので、[酒匂姓情報]に追加しました。
冒頭文を読むと、やはり酒匂川あたりが起源のようですね。
なかなか興味深げな内容ですが、言葉がわかりにくいですね。

お名前 酒匂一彦さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
富山県富山市に住んでいます。
母の父の姓なんですが九州は宮崎から戦後引っ越してきたそうです。
先祖は鎌倉にある権五郎影政神社だとのこと。
鎌倉大仏の近くにある神社で小さいですがちゃんと宮司さんもいらして、
「酒匂と申しますが」といいましたら「ああ、末裔の方ですね」とおっしゃっ
てました。
東京の世田谷で国士館大学の近くにも酒匂性の家が何件かあったと思います。
私の名前は世界で一つだろうと思っていたのに・・・・・もしかしたらまだ何
処かにおられるかもしれませんネ。
管理人コメント:
2組目の同姓同名の方です。(「同姓」は当然ですね)
同姓同名の方からの連絡がある、ということは、それだけこのページに掲載さ
せていただいた「酒匂さん」が増えてきた、ということで、嬉しい限りです。
権五郎影政神社ですか。鎌倉の近くに行ったら、寄ってみようと思います。

お名前 酒匂暁子さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私は鹿児島の姶良町というところが本籍です。
鹿児島にはけっこう多い名前ですが学校や会社などでは、たまに読めない人も
います。
でも、私はかなりこの名字が気に入ってます。小学生の頃は「酒くさい」とい
じめられもしましたが・・・
管理人コメント:
またまた掲示板へ書き込んでくれた酒匂さんです。
# 最近掲示板が「酒匂さん」だらけ・・・
暁子さんは「酒くさい」だけですが、私は名前(酒匂憲)もあわせて
「酒くさい、変」
でしたからねぇ・・・
でも私もこの名字、気に入ってます。

お名前 酒匂真理子さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
自分の名字で検索しみたら見つけました・・・!
いままで生きてきていろんな酒匂ネタあります。
おとうさんの実家は鹿児島です。やっぱりそこらへんなんでしょうか・・・?
管理人コメント:
真理子さんも掲示板に書き込んでくれました。
「いろんな酒匂ネタ」ってのが気になりますね。
教えていただけませんか? > 真理子さん

お名前 酒匂健太郎さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
自分の名前を検索してみたら、こんなページにつきあたりました。
今は大阪で一人暮らしですが、実家は鹿児島にあります。
結構いるもんなんですね、酒匂さん。同姓同名の方もいらっしゃるようで・・・
僕が聞いた話では、酒匂家の初代は島津の殿様についてきたらしく、酒匂景貞
さんという人らしいです。かっこいい名前ですよね☆
管理人コメント:
掲示板に書き込んでいただきました。
最初は以前連絡いただいた「酒匂健太郎さん」かと思ったんですが、よーく読
んだら別の方でした。
メールアドレスがわからないので、こちらから連絡できません。
是非連絡くださいね。

お名前 酒匂一寿さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私の酒匂ネタで特筆すべきは、郵送物関連ネタです。
「漢字ですか?えーと酒、お酒ですね、酒に、匂いと書いてサコウと読みます
あの中がカタカナのヒの匂いです」
「あーはいわかりましたー」
届いた郵便物には
酒臭 一寿
字の間違いも悲しいですが、それで家に郵便物が届いたという事実がもっと悲
しかった・・・・
管理人コメント:
お父様が鹿児島出身、酒匂さん自身は横浜在住だそうです。
漢字を確認されたあげく間違われるのは悲しいですね。
間違った漢字で届くのも悲しいですが、それで届かないのも悲しいですしね。

お名前 酒匂康幸さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
鹿児島県出身です。今現在東京在住ですが,上京以来確かに,初対面できっち
り呼んでくれる人は少ないですよね。
一発で呼んでくれる人は,鹿児島出身だったり,小田原近郊だったりと,限定
されているようです。
結構苦労もあって,ボウリング場やファミレスの予約書き込みなどでは後々め
んどくさいので「さとう」にしています。それとなんとなく不愉快なのが,自
己紹介する時は「酒の匂いと書いて〜」と紹介するのですが,人に紹介される
時はなぜか必ず「酒が匂うと書いて〜」ってことです。まあ,毎度のことナン
でそれほど気にはならなくなりましたが…。ちょっと不愉快。
管理人コメント:
この方も鹿児島ですね。
「酒の匂い」と「酒が匂う」を意識したことはなかったです。
# ひとつ前の酒匂健史さんは、自ら「酒が匂う」と言っているようですが。
ホームページを製作中だそうですので、公開したら教えてくださいね。

お名前 酒匂健史さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
知り合いから「おまえの名前検索したら変なのが出てきた」と言われて見てみ
たら感動。いるんですね〜。
この前電話の相手に「酒が匂うと書きます。」と言ったら『酒臭』と書かれま
した。
管理人コメント:
私のホームページは「変なの」ですか・・・(笑)

お名前 酒匂健次さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
我が御先祖様をネットにて調査中にここを発見しました。
我が酒匂家の家紋は「組合せ桝(ます)」と「並び矢羽」の2種類の紋の組合
せになっている様です。
家紋の説明ですが「桝(ます)」とは「増す」の意味で使われ縁起が良いみた
いです。商人や役者が使用した紋です。
ちなみに僕の両親は宮崎出身です。
管理人コメント:
酒匂健次さんは名古屋にお住まいのようです。
こんなご近所に親戚以外の酒匂さんがいらっしゃるとは思いませんでした。
ちなみに、うちの家紋は「郵便局のマーク〒を逆さまにして○で囲った」よう
な家紋だったと思います。

お名前 酒勾(さかわ)俊明さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
Googleの検索ページに、
……よく「酒勾」と書き間違えられる事はありませんか?……
とありましたが、「酒勾」姓の人こそ、「酒匂」に間違えられる、と思ってい
る人が多いのではないでしょうか。
「酒勾」に変換できるワープロはたぶん無いと思います。
ATOKでも出てきません。
関連して、少し私の考えを述べさせていただきたいと思います。
酒勾、酒匂は、サカワまたはサコウと読まれますが、サコウと読むのなら、
「匂」では不自然です。なぜなら、「匂い」は国字であり、漢字ではない。
つまり音読みがないわけですので「匂」でコウという読みは本来ありえない。
そこで、私は酒勾正当説を主張するわけですが、酒匂さん。どうぞ、お気をわ
るくしないでくださいね。
皆様方からのいろいろなご意見、情報を聞きたいと思って書いています。
管理人コメント:
「酒匂」さんではなく「酒勾」さんからメールがきました。
この方は「酒勾正当説」を主張されていますが、実際はどっちが元祖(?)
なんでしょうねぇ?
この酒勾さんからは上記以外にも情報をいただいており、酒匂姓情報
追加しました。
おもしろかったので「酒勾」さんですが、リストに載せることにしました。
今後は「酒勾」さんからの連絡も待ってます。

お名前 酒匂淑江(よしえ)さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
酒匂素子の姉です。
2年前に神奈川に出てきました。それまでは7年間、島原のほうで働いてまし
た。雲仙普賢岳の噴火で有名になった、あの島原です!
生まれは長崎なのは素子からのメールでご存知のことでしょう。
長崎も島原も良い所ですよ。

追加コメント(2003/1/26追加)
久しぶりに、「酒匂家の謎」を覗いたところ、中に私の体験に近い話があった
ので、思わず私の体験談を書きたくなりました。
それは忘れもしない高校2年の進級初日のことでした。新しいクラスに少しド
キドキしていると、新任教師がやってきてお決まりの「出欠とりますよ〜。」
私の心の中は「さあ、どうする?!」と期待に胸がどっきどき。そして私の前
の出席番号26番の人の名前が呼ばれ、とうとう次は私の番。それまで軽快に
名前を読み上げていた先生の動きがピタッと止まり、明らかに動揺を隠せない
「さあ、どうする?!」私の2度目の心の問いに対する先生の2分後の答えは
「27番。」・・・・・・・・・・・・そりゃないだろうよ。
それからの1年間、その先生を私は尊敬できなかったです。
管理人コメント:
酒匂素子さんのお姉さんで、素子さんと一緒に住んでいるそうです。
「お酒は弱いけど大好き」とのこと。
私はあまり飲めませんが、みなさんはいかがでしょうか?

追加コメントは、2002年10月に名前の表記ミスを指摘していただいた際のメー
ル中に書いていただいたものです。
読めないのは仕方ないですけど、「27番」だけではちょっとね。

お名前 酒匂素子さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
父が鹿児島出身で母は長崎の人です。
私の親戚は女系で女ばかりですよ。皆さんはどうでしょうか?
ちなみに私は5人姉妹です。
今は銀座でOLしています。他の酒匂さんって一体なにしてるのかしら・・・
管理人コメント:
長崎生まれ、大船在住のOLさんです。
女性は最初の「酒匂えり子さん」以来の2人目ですね。
これを機会に女性の酒匂さんからの連絡も増えるといいなぁ。

お名前 酒匂貴市さん
ホームページのURL http://members.jcom.home.ne.jp/diereichsflotte/
その他 本人コメント:
酒匂という姓の由来とか知っておくべきでよく読んで頭に刻み付けときます。

悲しいことに電話帳には何故か"酒勾"と書かれてます。
ちょっと悲しい。
管理人コメント:
勉強熱心な酒匂貴市さんのために、酒匂姓情報をお持ちの方は是非管理人まで
お知らせください。
でも電話帳に「酒勾」と載せられているのなら、きちんと訂正した方がいいと
思いますよ。
2002/11/24 メールアドレス・ホームページURL変更

お名前 酒匂秀美さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私もさこうといいます。酒匂秀美 男です。
現在、神奈川在住です。 なにげなく検索してみたらビックリでした。
出身は宮崎県です・・・・そうそうよく酒勾って書かれちゃいますよね。
もうすぐ結婚するのでもう一人酒匂っていうのが増えます・・・・ちなみに酒
匂博美です。
なんか、どっちが男だかわかんなくなっちゃいます。
管理人コメント:
とりあえず「ご結婚おめでとうございます!」ですね。
誕生日ももうすぐ(3/31)ですし「お誕生日おめでとうございます!」とも書
いておきますね。

お名前 酒匂幹雄さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私も鹿児島の「さこう」です。昔、じいさんから酒匂は由緒ある名前だ、ルー
ツは神奈川の酒匂(さかわ)で島津の殿様に連れられてうんぬん...の話を
聞いたことがあります。熊本にも結構、酒匂姓はあると聞いています。
今、私は浦和に住み、東京に通勤している身ですが、私の勤務場所のそばに
「酒匂(さこう)歯科」というのがあります。
また、私の弟は横浜在住、東京勤務で、二人ともたまにしか故郷の鹿児島に帰
省できません。
話は変わりますが、鹿児島西駅を市内方向に向って駅階段を降りて、駅を背に
して直ぐ右側にある通りにある漁師さんがやっている新鮮な魚を食べさせる一
杯飲み屋をご存知の方がおられたら店の名前を教えていただきたいのですが?
ウマイ焼酎もあります。
管理人コメント:
酒匂幹雄さんは、お友達からこのページの存在を教えていただいたそうです。
「酒匂さん」が身近にいる方は是非このページを酒匂さんにご紹介ください。
# このページは酒匂さん以外はあまり見ませんよね。
お店の名前をご存じの方はフォローお願いしますね。
鹿児島西駅のそばのお店ですが、幹雄さんがご自身で確認されたようです。
情報を知りたい方は幹雄さんに直接メールしてくださいね。(2003/3/23 追加)

2003/7/4 メールアドレス変更

お名前 酒匂健一郎さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
東京に住んでドアの修理とかをやってます。
昔聞いた鹿児島のばあさんの話によりますと、ばあさんは桜島・黒神神社の埋
没鳥居そばの武家屋敷に住んでいたそうです。
が、大正の大噴火に遭遇して海を泳いで市内まで逃げて来たので当時のものは
何にも残っていないのだそうです。
管理人コメント:
2000年の正月にメールを頂きました。(3人目)
今年の正月はたてつづけに3人の酒匂さんからメールをいただきました。
しばらく動きがなかったこのページを久々に更新しました。

お名前 酒匂敏郎さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
「全国の酒匂さん、集まれ!!」の発想には関心しました。
友達の輪ならぬ酒匂の輪が酒匂憲さん中心に広がればいいですね。
期待しています。
管理人コメント:
2000年の正月にメールを頂きました。(2人目)
この酒匂さんから最初にいただいたメールには酒匂姓の情報がたくさん書いて
ありました。
それをそのまま「本人コメント」に載せるのは少し長いかなぁと思って、あら
ためて酒匂敏郎さんにお願いして上記コメントをいただきました。
しかし酒匂敏郎さんからいただいた「酒匂姓の情報」を埋もれさせるのは惜し
いので、こちらに紹介しておきます。
(以前酒匂一彦さんからいただいた情報も合わせて紹介いたします)
これ以外の「酒匂姓の情報」をお持ちのかたからのご連絡をお待ちしておりま
す。

お名前 酒匂健太郎さん
ホームページのURL http://www23.cds.ne.jp/~kentmyu/
その他 本人コメント:
いやいや、こんなHPがあるとは・・・・
何気なく、酒匂で牽いてみたら引っかかりました。
私は現在横浜に住んでいますが、両親ともに鹿児島出身です。
鹿児島には酒匂姓は多いようですね。
長々と書きましたが、どうか頑張って全国の酒匂さんが結集する素晴らしいHP
を目指してください。
管理人コメント:
2000年の正月にメールを頂きました。
この酒匂さんも「酒匂」という漢字を口頭で説明するのには苦労しているよう
で、最後には「カタカナで書いといてください」となるようです。
私の場合は最初から「カタカナ」で書いてもらってますが。

お名前 酒匂景知(かげとも)さん
ホームページのURL http://www.din.or.jp/~sakoh/index.htm
その他 本人コメント:
本籍は鹿児島県です。先祖は神奈川県平塚市の酒匂川周辺に住んでいたそうで
す。
「読み方」に関しては、私は名前の方も正しく読んでもらえません。;_;)
私もバイクに乗っています。SUZUKIのGSF1200です。
また、私にも石田氏(TRX850乗り)というツーリング仲間がいます。
なんか、人生も似てますね。^^;)
お酒はビールを好んで飲みます。(酒匂さんで下戸の方っているのでしょうか
?)
管理人コメント:
約半年ぶりに酒匂さんから連絡がありました。
バイクのページはあまり更新もされておらず、ツーリングレポートのページは
ほとんど自己満足の内容ですが、ちゃんと読んでくださる方もいるんですね。
こちらのページもしっかりメンテしないといけないですね。
ちなみに私は下戸ではありませんが、あまりお酒は強くありません。

お名前 酒匂一彦さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
検索サイトで気ままに検索キーを”酒匂"と入れて、”全国の酒匂さん”のホ
ームページを見つけて感激しました。屋久島には大勢いらっしゃるそうな。私
の出身地鹿児島でも多かったですね。
私も自分のホームページを立ち上げたいと思っていますので、そのときは宜し
くリンクをお願いしますね。
管理人コメント:
ホームページを作ったら連絡下さいね。
楽しみにしています。
1999/5/17 メールアドレス変更

お名前 酒匂弘幸さん
ホームページのURL http://www.tama-p.net/
その他 本人コメント:
電話で自分の名前を告げるときに「サトウ」と勘違いされたり、
「さけ」に「におい」って告げると、酒臭(さけくさい)と書かれたりして困
ってます(^^;
管理人コメント:
そうそう! 電話で「サトウ」と間違えられること多いですよねぇ。
まぁ慣れましたけど。
それよりも「どんな字ですか?」って聞かれて説明するのが面倒・・・
「さけ」に「におい」でわかってくれる人あんまり多くないし・・・・
2001/5/30 メールアドレス・URL変更
2001/6/24 メールアドレス・URL変更
2003/11/9 メールアドレス・URL変更

お名前 酒匂幸樹さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
私は結構酒飲みなので、よく名前の事でからかわれます。
それはそうと、よく「酒勾」と書き間違えられる事はありませんか?
管理人コメント:
この方も「さかわ」さんです。
「酒勾」って書き間違えられること、ありますねぇ。
この酒匂さんからの提案なんですが、「私は『酒匂』をこんな風に読み間違え
られた」ということがあれば教えて下さい。 > 全国の酒匂さん
ちなみにこの酒匂さんは「さけひ」とか「しゅこう」と読まれたことがあるそ
うです。(「さけひ」って・・・・)

お名前 酒匂信尋さん
ホームページのURL http://www.sakawa.ota.tokyo.jp/
その他 本人コメント:
なんで酒匂っていうのでしょ!ってことに興味をもってます。
先祖が呑べえで、いつもお酒の匂いがしたのでしょうか?
違いますよね?ちなみに、私はsakouでなくsakawaです。
管理人コメント:
この方は「さこう」さんではなくて「さかわ」さんです。
神奈川に「酒匂(さかわ)川」という川があるのは知っていましたが、名字で
「さかわ」さんという方がいるのは初めて知りました。
これからは「さかわ」さんからの連絡もお待ちしております。

お名前 酒匂 寛さん
ホームページのURL http://www.d2.to/
その他 本人コメント:
酒匂のホームページがあることに感心しました。最近はネットワークの上でも
酒匂さんが何人かいらっしゃるようですね。  
管理人コメント:
久々に酒匂さんから連絡がありました。
その他の酒匂さんもぜひ連絡して下さいね。

お名前 酒匂智彦さん
ホームページのURL
その他 管理人コメント:
このコーナー「全国の酒匂さん」を掲載してすぐにメールをくださいました。
「今度詳しくメールします」という内容でした。
そのメールが届くのを心待ちにしています。

お名前 酒匂えり子さん
ホームページのURL http://bx.sakura.ne.jp/~sakou/
その他 本人コメント:
え!コメントですか〜いやぁ〜(^^ゞ照れてどうする…
でも私のページはすっごくつまんないですよ〜単に落書きがのってるだけです
から〜コメントのしようがないというか〜う〜む
管理人コメント:
このホームページを見てメールを出してくれた最初の奇特な方です。
屋久島出身で周りの家は「酒匂」だらけだそうです。
ただし全部おじいさんの血筋だったとか・・・




[酒匂姓情報]

柴戸さんからの情報(2006年1月1日)
そちらのHPに酒匂浩之さんの身の上話が記載されておれますが、曽祖父、酒匂景信氏と旧日本軍の高句麗の好太王碑文の改ざん疑惑は酒匂本より古い墨本が中国で「発見」されて、日本にある酒匂本の墨本と文字が変わらず、旧日本軍と酒匂景信氏の「無実」が証明されつつあります。
改ざん説を最初に唱えたのは1972年、日本朝鮮学校の李進煕が岩波書店の『思想』(歴史の学術誌ではなかった!)に発表し、ほぼ同時に北朝鮮も呼応して宣伝を行っています。
つまり酒匂景信氏への誹謗は非常に「政治的」なものだったのです。
酒匂景信氏を誹謗・中傷して、踏み台にして、李氏は和光大学名誉教授にまで成り上がりました。
酒匂氏と私の関係は、大宰府天満宮の宮司の西高辻家の数百年来の家来筋に酒匂を名乗る家があった、という事ぐらいでしょうか。
大宰府天満宮に今もおられるハズです。
今回、他人事ながら、酒匂浩之氏の曽祖父・景信氏にかけられた冤罪が、無念でなりません。
大新聞も世間も理解してくれなくとも、酒匂を名乗る人々は真実を知っておくべきと思い、メールをお送りいたしました。


酒匂景久さんからの情報その1(2005/4/24差し替え):
「酒匂家由緒書 1」
寛陽院様、御葬礼、御役賦の儀、御家老衆より私に申しつけられ候条、役賦、差し出し申し仕り候。
御太刀役は古来より、本田、酒匂の両家に仰せつけられ候例に御座候条、この度の儀はこの両家に仰せつけられ候か、又は本田次郎左右衛門ならびに嫡子に仰せつけられ、父子にて相つとめ申し候か、これあり度に存じ奉り候に、その段委細御家老衆へ申し達し候。
その趣は、本田、酒匂、両家へ問い届候時分、口上書を以て申し候趣に、私、考え申し候とおり、書き付け差し上げ申し候。
事、すみて、申さる儀をいらざる儀、申し上ぐることに候らえども、御家の御威光にまかりなる儀に御座候えば、存分、申さる儀を残し置き申すべく儀は御座なく候条、左の通りに御座候。

1.酒匂家、申し出し候へ御出陣、並びにご祝儀の自分は御太刀役相つとめ申し候。
御葬礼方にはつとめ申す役儀のおぼえ、御座なき由に候。
私、日記などをもって考え申し候は、酒匂氏は忠久公、ご誕生の前より丹後局に相附され、ご誕生あそばされて候てより、御守り役、相務め、それより御入国の御供仕り候。
その時分、忠久公宇佐八幡へ御参宮のとき、御太刀役、相務め申しなし由に候。
これ以来代々、御家老あいつとめ申し、貞久公より、師久公に召し附され、かの御子孫様に御奉公仕り候。
師久公の御子まご、左兵衛、久林、御ちゅう伐の後、忠国公より召出され酒匂氏は代々御子孫様に、始終、付き奉り、忠良の家にて、御座候故、その子孫も結構に召し仕えられ候。
伯円様の御代天文年間までは、日当山地頭をも仰せつけられ置き候。・・・・
いかるとき、この家に、終に下劣の御奉公仕り、家の衰申しなす儀、御座無く候御太刀役は師久公、御方にて相勤め申しなす筈に御座候。
御葬礼の時分、つとめ申すやくぎ、御座なき総浪々由、申し伝えられ候らえども、これは酒匂家代々、養子にて、御座候へば、委細の家伝を唱質申し候らわんかと考え申し候。
その故は福晶寺の千住、天海和尚書き付け置き申され候。
書物の内、嶋津殿葬礼の次第とこれあり候に、一御太刀、二人、本田、酒匂、かくの如くに見え申し候。
しからば、伯円様御葬礼の時までは確かに本田、酒匂、御太刀役相つとめ申し候儀は別儀なく候。
御家は伯円まで、中、奥、の太守公にへ御座遊ばされ候儀は申し上げされず候。
龍伯様、維新様、御葬礼にも、酒匂、御太刀役相勤め申し成す由少々おぼえ申さる者もこれある由、伝え承り申し候え共、書き付け、ござなく候。
琴月様、御葬礼の前、嶋原一揆につき、酒匂利左右衛門ことも、かの地に在り仕り候をご祭礼の御役にてござ候条、長野、酒匂、まかり帰り行くようにと御家老衆より、北郷、佐渡、入来院、石見へと申され候条、これあり候。
然からば、酒匂、あいつとめ申す役儀、これある儀はたしかに候ことに候。
私、存じ申し候はかような時分、御譜代の衆を召し仕わされず候らば、御家御威光もうすく、または師久公ご一流を御兼帯遊ばされ候。
いえども、見ず申さず候、酒匂家と本田家と先例通りに仰せ付けられ候らわば、御家、厚く伝わり候。
家並びに相州家を御兼帯あそばされ同然の儀に候あいだ、御譜代の衆まかり出で相つとめ候手こそ、総続の御茶Kりゅうを御家に御兼帯の儀と存じ奉るべく御座候。
酒匂家を召し残し候へば、師久公の御子孫相残り候ようにも、これあり候えば残念至極。
宜しからざる儀にござ候。
殊更、師久公の御家より分かれ申し候。
廉流もこれあり候ことに候らえば、お考え入り申すべき儀にござ候。
かつまた、酒匂家、御太刀役仰せつけれず候とも、少しも不足にはまかりならず候。
却ってかの家の者はご舎兄様に相付きされ候故、別して各々氏久公の御子孫様のようは遣わされ置き候ように存じ候へば、如何と存じ奉り候。

1.本田家より申し出で候は、御葬礼御太刀は本田次男家より、相つとめ申し候由に申し候由にござ候と申し候と申し伝え候由、申し出で候。
旧記などをもって私、考え申し候。
忠久公の御簾中様は畠山重忠の娘にて、ござ候。
本田二郎親恒は娘を重忠の側へ召し置き、この腹に出生申せし女を忠久公に嫁し奉ると見え申し候えば、忠国公の御為には親恒は御曾祖父にてござ候ゆえに、御入国の時分、本田家を重忠よりお供つかまつり候を、酒匂と同役に、代々御家老職相つとめ候。
氏久公に相附され候て、御太刀の役あいつとめ申し候らわんと存じ申し候。
もっとも天正年間までも、御出陣の時分は、本田家御太刀役あいつとめ申し候。
定めて御祝儀の時分あいつとめ申しなす儀もこれあるべく候らえども旧記に見え申さず候。
御葬礼に、次男家よりあいつとめ申し候とあい伝え候を考え申し候らえば、本田甚兵衛先祖は忠昌公御代よりして相分かれ申し候。
その以前に、次男家と申し候はござなく候。
慈照院様御葬礼に嫡家、本田作左衛門は、中将様、御太刀役にてござ候。
作左衛門、男子ござなく候故、次男家の甚兵衛を作左衛門嫡子となぞらへ、仰せつけられ、その以前の儀はあい覚えず候らえば、これをばかり覚え申し候て、御葬礼にて、二男家と申し出し候らわんと考え申し候。
御亡者様の御太刀を二男家には賢哲の御先祖様お決め置き遊ばされ候儀、覚えなく存じ奉り候。
その時酒匂家にも仰せつけられ候の由に候えば、右の通り申し出し候て、にわかに、御吟味なしがたき故に、本田家を両人共仰せつけらなされしかと存じ候えば、御事欠く故にかくの如くにござ候。
この度の儀は、すべて様、嫡家に仰せつけられ候。
もっとも泰清院様、御時は本田市郎左右衛門あいつとめ申し候え共、その時は佐多、北郷も、二男家よりあいつとめ申し候えば、定例とは申し難く候。
たまたま、両家とも、嫡家御□置きあそばされ候。
御先祖様以来皆々御譜代の本田、長野などにて、あい知りなす家の者共にてござ候。
本田、酒匂両家は御兄弟様に相附され候家にて、御兄弟様の御出陣、ご祝儀、御葬礼の時分、大礼には、御太刀役あいつとめ申す儀は別儀なく候。
冠婚葬喪は礼の大なるものと申し候間、これは御祝儀、これは御葬礼と申し候区別に定め置かれ候儀はこれあるまじく儀にござ候。
右の通り両家より申し出し候段、いづれも信用つかまつりもうすべくかと考え申し候に、その家々にてかようのぎ、なほども唱談、又は唱失申し候儀のみにてござ候。
殊更、養子又は幼少にて父母と別れ□左様の故実ども、心を寄せ申さざる子孫どもは祖父、親の代の事をさへ存じ申さざる者、多くござ候。
年来、久しき儀に候えば、この儀に限らずに申し出候儀に相違の儀もござ候えとも、旧記をもってあい考え、その上吟味かけ申し候えは、成る程たしかに、あい知り申すぎ、新たならざる儀にござ候。
酒匂家の御葬礼につとめ方、おぼえ、ござなくと申しで候も、又、本田家より二男家よりご葬礼かたはあいつとめ申し候と申し出候も、両家とも考え違い申し候て、申し出候わんと私は考え申し候条、存じより候段、残らず申し上げ置き候。
段この儀、証書ござ候え共、御□□□にもと存じ奉り候段差し上げ申さず候。
以上
      戌十二月十六日                  伊地知助右衛門


「酒匂家由緒書 2」
私の家の系図、そのほかにあい付し候し書付けのこれあるに於いては、御用に候間、差し出すべく候。
自然の系図など、これなく候は、そかごろ、あい知り候分を書き記し、又は家にて申し伝え候趣、由緒書き調べて差し出す旨、仰せ渡され、承知仕り候。
系図、文書、そのほか、由緒これある重器どもは、わたし、先祖の代、火事にて焼失つかまつり候につき、右体の書付け所持つかまつらず候。
実の儀は存ぜず候え共家にて申し伝え候趣はこれあり候にて、左に申し上げ候。

1. 忠久公御誕生の前、丹波のお局は日州へお下り御申しなさるべくとあい決め、私先祖、酒匂左衛門景貞(後は次郎左衛門)と申す者、御共仕り、まかり下り候ところ、格別、信吉にて、御平産なされ候につき、関東へ、ご注進申し上げ候とき、右景貞に、御守役仰せ下され候。
さ候て、御成人あそばされ、三ヶ国を御給わり、御下国の節、御供つかまつり候。
頼朝公の御意は遠国に御下向なされ候間なぞと思し召し候て、御守御本尊、ならびに、御家、御吉例の、あまの御母衣、進ぜられ候間、忠久公、御幼少の内は、景貞が格護つかまつり、御成長の時分に差し上ぐるべき旨、仰せ付けられ候。
よって、御成人、あそばされ候て、右のやく、申し上げ候ところ、右、景貞、姓の御願いなされ候よし、仰せ渡され候。
さて又、景貞へは、右、同時に頼朝公より、所信の御太刀を拝領つかまつり、御本尊、御母衣、同前に公儀より、御倉作仰せられて、あい納め今にいたり、私、格護つかまつり候。

1. 景貞儀、御名代職あいつとめとしての儀、これあるにつき、久景と名乗り申しなす儀もこれあるべくと申し伝え候。

1.忠久公、御帰国の節 、豊前宇佐八幡宮へ御参詣あそばされ候につき、景貞、御太刀役にて御供奉り候。
しかるところに、社頭において、青銭二枚、御素袷の袖に縫い下げ候を御頂戴なされ候とき、景貞に下され候て、代々格護つかまつり候ところ、竜伯公より、横田尾張守殿、御使にて、右の由緒貴聞に達し候間、高覧に 供すべき旨、仰せ渡らせ候につき、差し上げ置き申し候。

1.忠久公、御下国あそばされ、景貞に領地として高江一所拝領つかまつり候。
それより貞久公まで、酒匂家は代々、御家老役つかまつり候ところ、貞久公、師久公御労へ召し付され、師久公、御子孫の御代々、御家老職、仰せ付けられ候。
しかるところ、伊久より私、先祖へ仰せ聞かされ候は、御家督の儀は元久公へお 譲り、御重物を御付属あそばされ候間、元久公へ属し奉り、御奉公、つかまつる べき旨仰せ渡され候えども、御家御威勢の節は属し奉り、御衰微の時は、退出つかまつるべくの儀は存知もよらざる儀と申し上げまかり居り、久世公の御代、川辺に於いて、戦死を仕り候。
右の戦死は酒匂記伊と申し候。
さ候て、久林こう、御征伐の後、子孫共は忠国公より、召し出されつかまり候。

1.中ごろ、私の先祖に右馬入道と申すものござ候。
御時代は存ぜず候。
御名代に上洛つかまつり候時、ご分国諸士の次第、申し上げるべきと仰せつけられ、書き付け差し上げ候。
酒匂一様錦と申す書、並びにご当家六巻書書き付けござ候。

1.師久公の御子孫、御衰えなされ、酒匂家も衰微つかまつり候。
その上、系図文書、そのほか、由緒の重器ども、河辺地頭にてまかり居り候節、かの地にて火事にて焼失つかまつり候。
方々、地頭職、仰せつけられ置き候えば、右仕合わせにいづれの所とも相知れず候。

1.天文のころ、酒匂源左衛門ともうすもの、清水へ、伊集院孤舟、召し移られ候て鹿児島より三十人ほど召し付けされ候内にて、まかり移り候。
その後、日当山地頭職源左衛門へ仰せつけられ候。
そのころ、肝付家、御退治のとき、廻りの馬立にて、源左衛門戦死つかまつり候。
その節、私、曾祖父、新左衛門は九歳にて候。
肝付、表御手裏参り候。
翌年、竜伯公より、町田出羽守殿、本田印旛守を以て、新左衛門こと、家督の儀に候。
その上、御家の御重物を格護つかまつり候。
親、源左衛門、戦死つかまつり候間、幼少の儀につき□□□□□の内知行八町下れ候と仰せ渡され候。
右の通りにござ候。
以上
御記録所、                         酒匂利兵衛。


酒匂景久さんからの情報その2(2005/4/17):
小田原に「酒匂川」があり、現在は小田原市に編入されていますが、以前は「酒匂村」と称し、鎌倉時代には酒匂郷と云われてました。
面白いことに酒匂神社もありますが、そこには「酒匂」の姓を名乗る人は誰もおりません。何故でしょう。
酒匂郷は「梶原氏」のものでした。
現在、NHKで放映されている「義経」で多くの方がご存じのことと思います。
石橋山の戦いに負けた頼朝は梶原氏、特に景時に見逃され、房総に逃げるのですね。
頼朝の正妻は「政子」ですね。
日本の三大悪女の一人です。
嶋津忠久は頼朝の「庶子」で頼朝が薩摩の地頭に任じたと書かれておりますが、どうでしょう。
あの嫉妬深い「政子」が頼朝の浮気を許したでしょうか? 
頼朝は政子よりも優しい女性と懇ろになりました。
生まれたのが「忠久」です。
もし、北条家に知られたら困ります。
頼朝は梶原氏の長男、−景時は次男です−に頼んで、その女性と息子を日本の南端、薩摩に逃がしたのです。
その時について行ったのが酒匂家の先祖です。
当時は梶原と名乗って居りましたが、忠久に酒匂郷でいたので、「酒匂」という姓をもらいました。
数代は忠誠に励みましたが、男子が出来ずに養子で酒匂家を守ったようです。


酒匂明束さんからの情報(2004/10/3)
☆酒匂精義先生の書籍掲載論文(全国的なもので現存するもの)

書 名:『歴史と旅』臨時増刊3/5姓氏 名門 名家 PART2(平成3年)
発 行:秋田書店
論文名:「平姓梶原流の末裔〜酒匂家」
ページ:294〜299

書 名:『學徒體育』12月号(昭和18年12月)
発 行:東京 目黒書店
論文名:「朝鮮に於ける學校體育の諸問題」
ページ:43〜45

☆酒匂精義先生の記事(新聞)

昭和57年2月1日⇒南日本新聞のコラム「ふるさとの歴史を知ろう」
表  題:『気軽に読める郷土史読本』
主な内容:祖父の略歴および当時の研究活動を解説している。(写真入りの貴重なものです。)


酒匂幹雄さんからの情報(2004/3/1):
最近の情報で、「酒匂ミユキ」というハスキーボイスの女性ボーカリストがいるというのでCD「MAN(女が歌う男達のバラード)」を購入しました。
自分の曲はまだ無いようですが、男性歌手の歌を歌いなおしています。
結構、聞かせる歌手だと思うんですが......。
その中でも、尾崎豊の「I love you」は goodです。
どなたか聞いてみてください。

酒匂淳一さんからの情報:
私が調べた内容も皆様がおっしゃっているものと大同小異です。(「酒匂家由来帳」はコピーで見たことがあります。)
やむなき事情から中心家老から滑り落ちた酒匂ではありますが、その後(血が完全につながっていないものの)歴史的には何度か登場しているようですね。
個人的には高句麗好太王碑を改ざんした酒匂景虎の背景が気になります。
屯田兵の入植を指揮した黒田清隆に従って、鹿児島を中心に散在した酒匂一族の一部は北海道にも渡っているようです。
酒匂精義先生との会話の中での記憶では、広島・酒匂がその途中で根付き、いまでもある程度の人数が居、また無事入植して、旭川を中心に開拓したとのことだったと思います。
私自身も数年前札幌に転勤しておりましたが、北見で「酒匂歯科医」を発見(?)最北の酒匂として記憶しております。

酒匂慶さんの研究より(Part1):
酒匂家にも二つあります。一つは神奈川県小田原の酒匂〔さかわ〕の人。
もう一つは、薩摩藩島津家家臣で、桓武天皇の子孫です。
この二つの酒匂家は共通の先祖を持っています。
その人の名前は、梶原朝景です。この人が源頼朝から神奈川県の酒匂という領地を賜り、酒匂朝景と名乗りました。
元の読み方は〔さかわ〕でしたが、後に〔さこう〕に変わりました。
さて、何故神奈川と鹿児島に酒匂家がいるかというと、先に述べた朝景さんは頼朝公のお気に入りで、島津忠久公が薩摩守護に任ぜられたときに、島津について行くように言われました。
酒匂家の中で薩摩に行ってしまった人と、神奈川に残った人とに分裂してしまったのであります。

酒匂慶さんの研究より(Part2):
先ず簡単に酒匂家の系譜を辿って行きましょう。
桓武天皇‐葛原親王‐平高棟‐平良文‐〔以下平家省略〕‐村岡小五郎忠通‐梶原景通‐〔以下梶原家省略〕‐梶原朝景〔酒匂朝景〕という具合です。
酒匂家は朝景以降数代に渡り、島津家の家老を務めました。
その他、薩摩藩普請奉行や、島津家守護代なども勤めました。
普請奉行を務めた酒匂景久さんは、禄高400石でした。
江戸年間を通じて一石〔米の単位ですが〕が平均で今の10万円位だという人もいるので、景久さんのお給料は、おおよそ今の40,000,000円くらいだと思います。
酒匂景久と名乗る人はもう一人いて、彼は『碇山城』というお城を任されていました。
この人はかなりの豪傑で、島津家のお家騒動が起こり、内乱状態の中で攻め込まれました。
相手方が明らかに優勢な状態の中、最後まで城を守ろうと残って戦い、戦死しました。
神奈川に残った酒匂家のほうは、鎌倉幕府が崩壊してしまったために、活躍するまもなく没落してしまいました。
薩摩に渡った酒匂家のほうは、薩摩藩は言わずと知れた大藩ですから、繁栄した時期もありますが、とある経緯があり衰退しました。
夏目漱石が残した日記の中にも、酒匂さんは登場します。

酒匂○○さんからの情報(酒匂精義先生の論文参考):
桓武天皇の身内が平家一族として関東に下り、八つの豪族ができました。
今でも地名として残っている秩父氏、千葉氏、下総氏、三浦氏などです。
その中で、鎌倉を中心とした梶原氏がありました。
その梶原氏に鎌倉権五郎景政という人物が居て、16歳で戦いに出、右目に矢を受けたため、三浦の平太郎為次が顔を踏みつけて矢を抜こうとした為、つわものの恥と怒り、膝をかがめ顔を抑えて矢を抜かせた。
これは戦前の歴史教科書にも出ている話だそうですが、以降その子孫はこの武勇伝にあやかり「景」の名を付けるものが多いそうです。
鎌倉の大仏様の近くに「鎌倉権五郎神社」があり、その家紋がお賽銭箱にありますが、我が家と同じ「並び矢」を見て、そのルーツを深く感じた次第です。
それから数代後に歴史上で有名な梶原景時(1200年乱を起こし戦死)が現れますが、その兄と言われている人が酒匂刑部丞朝景と名乗り、鹿児島酒匂家の初代となります。
朝景は小田原にある酒匂川河口付近を支配していたものと思われ、その地名を名乗ったものと考えます。
なお、酒匂川河口近く(東京より)に酒匂神社がありますが、酒匂家とは関係ありませんでした。
朝景は1186年初代島津忠久の守役として子景貞と共に鎌倉を出発し、暫く京都に滞在した後に、1196年薩摩に入国しています。
忠久が幼少だったことや、当時の薩摩は治安が非常に悪く城を鹿児島県出水地方に作らせるなどしたため、入国が遅れたものと思われます。
それから7代島津元久まで家老という重責を担ってきましたが、1413年の島津家内紛に巻き込まれ、その後衰微の一途をたどることになり、歴史上から消えてしまいましたが、島津家の家臣であり続けたことは間違いありません。
さて、1700年代に編纂された「志布志記」によると、1500年代後半に酒匂壹岐守という人物が現れます。
一方、1576年志布志地方が島津家の直轄となり、1577年初代地頭鎌田氏が赴任しましたが、その配下に酒匂姓があり同一人物と推定します。

柚木一征さんからの情報:
酒匂氏の始まりは、梶原朝景(平姓梶原権太夫景道の二男)であり、源頼朝の侍士として仕え、文治元年相州酒匂の荘を右幕府源頼朝公より賜り、その地名を家号即ち姓としたのである。
建久四年、島津忠久公の薩摩入りに随行した中にこの酒匂一家があった。
その後、子孫繁栄して、現在の鹿児島県及び宮崎県南部に酒匂姓が散在するようになる。

Bummaさんからの情報:(掲示板に書き込んでいただきました)
母方の酒匂家の実家は鹿児島です。
親戚の調査によると、鹿児島の酒匂家は平家の一派で、元々は関東の酒匂川周辺がルーツだという事です。
平家の落ち武者の末裔か、とか言う親戚もいますが良く分かりません。
また、ここの酒匂家では代々伝統的に男性の名前には「景」の字がつきます。例えば「酒匂景政」のような感じです。
このサイトで知ったのですが「鎌倉にある権五郎影政神社」とかと何か関係あるのかもしれません。
また代々武家であった為、昔は家に甲冑や槍や日本刀などがおいてあったらしいですが、二次大戦後GHQのガサ入れがあったため全て海に投棄したそうです。
(管理人コメント:酒匂景知さんも「景」の字がついてますね)

酒匂賢一さんからの情報:
『酒匂一族』冒頭文より

一、酒匂の氏号と諸流
酒匂の氏号は、他の多くの氏号、苗字と同じく、その住せし地名を以って、己が氏稱とせしものなり。
此の地名、相模國足柄郡にあり、此の地を流るる河を酒匂川という。
平安時代の末期、相模の豪族鎌倉氏の分れに、酒匂氏あり。
梶原氏と兄弟の家なるも、早く島津忠久に従いて、九州に下向せしものと見ゆ。
鎌倉には、此の酒匂氏の記録は見えざるも、鹿児島の記録には、世代を誤りて伝承されしかと思わるるものあり。


酒勾俊明さんからの情報:
酒勾、酒匂は、サカワまたはサコウと読まれますが、サコウと読むのなら、「匂」では不自然です。
なぜなら、「匂い」は国字であり、漢字ではない。つまり音読みがないわけですので、「匂」でコウという読みは本来ありえない。
たしか、大修館書院が発行している諸橋轍次の「大漢和辞典」(全13巻)にも、そんなふうなことが書いてあったと思います。
また、姓名関係の書物からの情報ですが、酒は「逆」、勾は「曲」の意味で、川が海に注ぐところ、逆流する場所という意味からきているとのことでした。
神奈川県小田原市の酒匂川河口付近に酒匂地区がありますが、あてはまりますね。
私はルーツを探しに、以前、小田原市に行って酒匂地区をたずねたことがあります。そのとき、そこに酒匂中学校はあっても、酒匂(酒勾)さんという家は一軒もないことを酒匂地区の自治会長さんから聞きました。

『酒匂一族』出版のご案内:
2000年2月の終わり頃、「『酒匂一族』出版のご案内」という往復はがきが届きました。
上で紹介した酒匂敏郎さんからの情報の中の「酒匂家の系図」と同じものかどうかわかりませんが、とりあえずそのはがきに書いてあった文面を紹介します。

酒匂姓の始祖は桓武天皇から発した桓武平氏の名流梶原氏より起りましたが、大織冠藤原鎌足公を太祖とする名門田原藤太秀郷裔河村党松田氏や、各地の名族からも発祥し、その系を今日に伝えています。
現在、十万三千余もある苗字の中、その系が少しでもわかっているのは、四千余姓にすぎず、あとは残念ながらまったくわかりません。
全国の電話帳からの集計では酒匂の数は、大凡1,073ありました。
このたび、各種の古記録、古伝承を集録し、酒匂氏の流れ、伝承を一冊にまとめて、「酒匂一族」を刊行いたします。是非一家に一冊はお求めくださるようおすすめします。
○限定出版(予約限定・番号入り)ですのでお申込の方以外はお求めになれません。

「お申込の方以外はお求めになれません」って当たり前じゃん。

酒匂敏郎さんからの情報:
「酒匂」という姓は少ないと思っておられますが、10年前に、ある出版社から「酒匂家の系図」を出版したとのダイレクトメールが来たときは、酒匂氏の人口は全国で六千数百人いるとのことでした。現在では、何倍になっているか?
また、現在、現職かはわかりませんが北海道の十勝町長さんも「酒匂」です。新聞にも載っていました。多分、幕末時に官軍で北上し、北海道の函館五稜郭の抗戦に参戦された薩長軍の子孫だと思います。
そして、私が佐渡島に行ったときも、佐渡島観光ホテルのフロントの方に、「酒匂さんは佐渡島にも昔から沢山おられるんですよ」と聞かされてびっくりしたものです。ちなみに江戸時代、当時の島流しといえば八丈島か佐渡島でした。八丈島は身分の低い町人であるとかお百姓とかが流され、佐渡島は公家であるとか武士であるとか、高貴な人が流されたそうです。
 最後に「酒匂氏」で有名なのが太平記にも記載されています清和源氏酒匂氏の酒匂左衛門四郎忠胤です。「酒匂氏」の先祖は武士が大半だと思います。私の先祖は薩摩藩の国家老の支族だ?と祖母から聞かされたものです。

酒匂一彦さんからの情報:
酒匂の名前のルーツ説のひとつに、酒匂川(サカワガワ)流域に住んでいた人が島津の殿様に連れられて鹿児島へ移り住んだというのがありました。鹿児島でサカワがサコウに訛ったのではなど と勝手な想像をしています。
酒勾という名前は西郷隆盛と官軍が戦ったので有名な熊本県の田原坂の戦い跡に立っている戦死者の碑に数名いました。勾配(こうばい)の勾ですからこちらの方が自然に読めますね。



[全国のさこうさん]

「酒匂さん以外のさこうさん」からメールをいただきました。
「さこう」姓による苦労など、酒匂姓と同様な体験をされたようで、メールにいろいろ書いて頂きました。
これを機会に、「酒匂さん以外のさこうさん」の情報もアップしたいと思います。
ただし、酒匂さんは本人の希望があれば無条件に掲載いたしますが、「酒匂さん以外のさこうさん」の掲載は、「さこう」という姓のために困ったこと・得したこと、などのネタを提供していただいた方に限ります。
掲載するか否かの判定は、例によって「私の独断と偏見」によりますのであしからず。

お名前 佐幸敏光さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
こんにちは〜。私、佐幸敏光(サコウ トシミツ)と申します。
たまたま、面白い画像とかないかなーといろいろ見ておりました。
そして、このHPを見つけ、また今度じっくり見ようと思いお気に入りに登録
してみれば、「酒匂家の謎」なる文字が出ているではありませんか。
すぐに「サコウ」と読めましたね。
パソコンで自分の名前を入力するたびに、「酒匂」と変換されますんでね。
ちなみに私は、わりと普通に呼んでもらえますね。
管理人コメント:
佐幸さんは、「街で見かけた気になる物」から「全国のさこうさん」に来て
いただいたようです。
佐幸さんも「全国に『佐幸』さんがどれくらいいらっしゃるのか気になる」
とのことですが、もしかすると「酒匂」姓よりも少ないかもしれないですね

お名前 佐光寿吉さん
ホームページのURL
その他 本人コメント:
何気に「さこう」で検索をかけると全国の酒匂さん集まれとありましたので
おやっと覗いちゃいました。
で、メールしてしまいました。
わたしは 佐光と書いて「さみつ」ではなく「さこう」です。
投稿の中に佐光とあり検索エンジンに掛かったわけです。
逆にわたしは銀行などで、さこうなのに「さみつさーん」と呼ばれる事が多い
んですよ!
パソコンでさこうと打つと必ず酒匂と変換されます。
なので酒匂さんてたくさんいるのかなあっといつも思っておりました。
様々な投稿がありましたけれど私も結局まったく同じ経験があり、なんか笑っ
てしまいました。
さこうをさとうと呼ばれたり、漢字が違うけれどさこうの名前には執着心があ
るので酒匂さん集まれはすごいうれしく思った次第です。

佐光はちなみに高知が発祥だと聞きました。
高知から四国山脈をばらばらに拡がったと聞きました。
私は徳島在住です。よって四国の中心に近くなる程、佐光姓は多くなります。
今、徳島市内で16件程です。
もう少し歳を重ねると一度ルーツを探ってみようと思っております。
今後も全国のさこうさんが集まってくれれば良いですね!
管理人コメント:
「酒匂裕美さん」情報にある「佐光」にヒットしたようです。
ところで、「佐光」も「さとう」と呼ばれることがあるのでしょうか?
これを機会に、酒匂さん以外の「さこうさん」の情報もアップしたいと思いま
す。




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